住まいのミュージアム・大阪くらしの今昔館8階展示の模型

明治の初年、近世大坂が市街地であった旧大坂三郷の西、木津川と安治川に挟まれた弾丸形の土地に西洋の町が現れました。

慶応4年(1867)の大阪開港に伴い、旧幕府の番所跡に外国人居住のために造られた川口居留地で、明治32年まで存続しました。

ここには伝統的な土壁の仕上げ材である漆喰の白壁に、ベランダやよろい戸付きのガラス窓といった洋風の意匠を備えた建物が建てられ、

道路には歩道、街路樹、街灯が整備されました。生活様式もまた西洋式で居留地内にはテニスコートやビリヤードなどの娯楽施設、周辺には洗濯屋や洋服屋、パンと牛乳の店、ラムネを売る店などが誕生しました。川口居留地は文明開化そのものであり、大阪に開かれた西洋文化の窓口でした。(説明板より)

フロア床に拡がる「大正13年・大阪市パノラマ地図」の川口周辺