日本近代洋服発祥の地 

顕彰彫刻建立の趣意

明治2年(1869)英国人カベル氏(通称)が元居留地16番館に洋服店を開業したのが神戸における洋服商の

嚆矢であります。ついで30番館に英国人スキップ氏とその付近に中国人其昌号氏とが開店し、日本では

泉小十郎氏が創業し続いて明治5年(1872)西田正太郎氏が開業しました。

明治政府はこの年太政官発令第373号を以て「爾今礼装は洋服を着用すること」と布告しました。爾来100年

神戸における先輩業者の刻苦精励はついに神戸洋服という固有名詞を作り上げ、その輝かしい名声は全国に

宣伝されて今日に至っております。このところに神戸洋服商工業協同組合は業界の総意によって太政官発令100年にあたる昭和47年(1972)を記念しファッション都市神戸の宣言を背景に栄光ある先覚者への敬慕と業者一層の精進研鑚とをこの彫刻に託して後世に伝えんとするものであります。

昭和49年(1974)10月吉日

神戸洋服商工業協同組合 理事長 渡邊利雄

顕彰彫刻建立委員会 名誉会長 竹馬準之助

顕彰彫刻建立委員会 会長 柴田高明

題字は宮崎辰雄神戸市長の揮毫に依るものです。

(碑の側面の文字) 小林陸一郎

           増田正和

           山口牧生

 


モラエス像

WENCESLAU JOSE DE MORAES

FAMOUS PORTUGUESE AUTHOR

ON"THINS JAPANESE"

BORN_LISBON 30TH MAY 1854

LIVED IN KOBE JUNE 1898 TO JULY 1913,LEFT TO TOKUSHIMA JULY 1913

DIED AT TOKUSHIMA AGE 75 YEARS OLD

ON 1ST JULY 1929


A WENCESLAU DE MORAES OFICIAL DA ARMADA PORTUGUESA E ESCRITOR

VIVEU E MORRED NO JAPAO,QUE A SUA ALMA CANTOU PARA A ETERNIDADE

HOMENAGEM DA MARINHA DE PORTUGAL

OUTUBRO DE 1933


ここ日本に住み他界したポルトガル海軍の将校にして作家であったヴェンセスラオ・デ・モラエスへ

貴君の魂が永遠であることを祈る

1983年10月 

ポルトガル海軍より敬意を込めて


 

アレクサンダー・キャメロン・シムの碑 

(亜歴山加米龍西母)

A.C.シムはスコットランド人。化学者であり薬剤師。K.R.A.C.(神戸レガッタ・アンド・アスレチック倶楽部)

の創設者。”ラムネ”の発明者としても知られている。1870年来日から1900年に死去するまで神戸の

青少年のスポーツ振興だけでなく居留地共同社会のため大いに貢献した。義勇消防隊の編成及びその

隊長を長年に渡って勤めた。その他道路の建設・改修など公共事業の指揮・監督の任に当たり、全力を

尽くした。また1891年の岐阜大地震など各地の災害を聞くと自ら有志を募り外国人社会からの救援

物資を現地に運んだ。彼は1899年居留地返還に際してはその返還証書の署名者でもあった。1900年

死去。再度山公園外人墓地に永眠している。この記念碑は彼の死後、神戸はじめ横浜、長崎の友人達が、

シムの奉仕的精神に富んだ社会奉仕を記念して現在の東遊園地の南一隅(旧K・R・A・Cクラブハウス前)

に建立したものである。                                1981年3月 神戸市


IN REMEMBRANCE OF PUBLIC WORK

PERFORMED BY ALEXANDER CAMERON SIM,

A

NATIVE OF ABERLOUR,

SCOTLAND BORN AUG. 28TH,1840

DIED NOV.28TH.1900


ERECTED BY FRIENDS IN KOBE

YOKOHAMA&NAGASAKI

BOTH FOREIGN AND JAPANESE


    ボウリング発祥の地

神戸開港間もない1869年4月20日外国人居留地だったこの地にボウリング設備のあるTHE KOBE CLUB

が誕生。長崎につぐボウリング伝来の地、神戸ではわが国スポーツ文化の夜明けに影響を与えるストライク

交歓が活発に繰り広げられた。記念碑は1989年のボウリング発祥120周年神戸市政100周年の記念建立

計画に基づき1991年7月23日に完成。