安治川橋の碑

江戸時代初期までの淀川河口部には九条島が流れを遮る位置にあり、洪水がだびたび起こり、

また土砂堆積により舟運にも不便をきたすことが多かった。このため貞享元年(1684)幕府の命により、

河村瑞賢が水路を開削し、安治川と名付けられた。その後周辺に富島や古川の新地開発が進められ、

元禄11年(1698)に完成した。安治川橋はこの新地の開発に伴い初めて架設された。

江戸時代末期、幕府は開国に備え、この地を外国人居留地として準備を進め、明治新政府によって

明治元年(1868)大阪開港とともに外国人に競売された居留地には、洋館や舗装道路が造られ

大阪の文明開化の拠点となった。

明治6年(1873)居留地の交通の便を図るため、新しく安治川橋が架けられた。この橋の中央二径間は

西欧から輸入された鉄橋で、高いマストの船が航行する時には、橋桁が旋回する可動橋であった。

当時の人々はこの旋回する様を見て「磁石橋」と呼び、大阪名物の一つとなった。明治18年(1885)

大阪を襲った大洪水は多くの大川の橋を流して流木となって安治川に押し寄せた。橋はこの流木や洪水に

抵抗しよく耐えたが、市内に洪水の恐れが生じたため、やむなく工兵隊により爆破撤去された。

(以上説明板より)

安治川橋雪景色(桃山学院蔵)