天津(テンシン)REPORT 2017
↑天津租界地図
(赤枠の中の地域のリンク先はクリッカブルMAPになっていますのでお楽しみください。建築物メインです。)
租界時代の建築物(天津博物館内3階近代史コーナーの展示模型より)
以下は2017年3月4日〜6日まで3日間、旅行したときの記録です。
東洋の中の西洋に深い興味を覚える。一時期、9か国もの租界が存在した地域は天津を置いて他には見られない。
果たして現在もその痕跡は残っているのだろうか。日本国内では近年、劣化のため解体されていくことの多い近代建築は中国国内ではどれほど現存しているだろうか。
1・結論。
そのまま残っているのは多くは銀行の建物で解放北路に存在した。五大道のいわゆる小洋楼の住宅建築は中国の有名人の豪邸が多く、新しい建築も多かった。
五大道などは観光用の馬車も走っており、若い人々や家族連れなど多くの人で賑わっていた。
住宅街特有の閑静な地域をイメージしていては賑やかすぎてがっかりすることになると思う。
天津は高層ビルも多い都会である。まず空港に到着する際、想像していた大気汚染はやはり現実のことであり、どんよりと茶色の空気と海が迎えてくれた。
若い人々はマスクのおしゃれな色の(白のみでない・迷彩柄などいろいろ)を付けていた。しかし3日目にはきれいな青空も見ることができた。
何よりあきれたのは交通ルールの無秩序さである。ウインカーを出さないのは当然。歩行者も自転車も自転車みたいなバイクもスクーターもめちゃくちゃに走っている。
接触事故などで言い争いをしている姿はしょっちゅう目にした。ただタクシーは安く、便利だった。しかししつこい客引きの三輪タクシーは無視したほうが良い。
また車も人も多く、路上駐車だらけで広い道も狭くなっているところが多かった。中国人ガイドによれば、罰金は高い、と言っていたが守られていないように見えたし、あまりの人の多さに警察も行政も行き届かないのだろうと思われた。 一見、大高層ビルの多い都会なのだが、少し路地裏に入ると庶民の生活が覗き見られる。現地の人のふりをしてチマキなど小銭で買うと、一気に彼らの存在が近くなったように感じられた。 気持ちは伝わる。お店のバイトの女の子やら高齢女性の気持ち、日本人と大して変わらないと思った。 3日目は平日の朝に、広播電視塔に上ったのだが(観光客が誰もいない!!)、その前の広場で10人ほどの高齢者がさわやかに太極拳をしていた。横の大通りは車が猛スピードで行き交う。
結果として、見るべき建築のすべてを確認できなかったが、日本語のできる現地ガイドの話にもより、思っていた以上に中国の人々の生活面が見えてきたことは収穫であった。 またなぜこのような建築物がガイドブックに載っていないのだろう、と思うこともあった。 スマホのバーコードを使って乗れるレンタサイクルが便利そうであった。後からガイド氏に聞くとそれ以外にも利用できる方法はあるらしかった。 天津でも日本同様スマホ社会である。 2・天津の全般的なイメージを表す写真
天津濱海空港 | 交差点1 | 交差点2 |
路地裏。庶民の生活感があふれている。
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このような趣のある建築がなぜ紹介されていないのだろう。 | これは後から西洋風に似せて作られたものらしい。観光客を集めるため? |
3・参考資料
<日本語の資料>
・『全調査 東アジア近代の都市と建築』監修・藤森照信・汪担 大成建設 1996
<中国語の資料>
・『天津近代建築』 天津科学技術出版社 (1989年)
・『天津歴史風貌建築概覧 洋楼遺韵』路紅編著・買長?主編 天津古籍出版社 (2012年)
・『玩?小洋楼』超強著 百花文芸出版社 (2011年)
・『近代天津図志』超強著 天津古籍出版社 (2004年)