函館

「函館は条約で居留地を設定することが決められていたが

土地があまりよくなかったので事実上外国人はここには

住まず、ほとんどが市内雑居でした。」

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*明治10年函館沿革図(市立函館図書館所蔵)は,現在の地図と照らし合わせにくかったのですが

「箱館から函館へー古地図で見る都市形成の歴史」富原章著 函館分化会刊 明治9年の部分を参考に地図を新たに書き直し写真を追加しました。

「市立函館図書館蔵 函館の古地図と絵図」(吉村博道撮影・道映写真)という本には168枚の函館の古地図が収録されています。

文字が読めればいいのですが、小さすぎてやはり実物を見なければ実情はよくわからないと思いました。下に挙げた地図は文字が

わかりやすかった唯一のものでした。雰囲気を感じ取っていただければと、略地図を作ってみました。

*地図中「ルスイ」について・・・

「ルスイ」とあるのは「留守居」のことで、安政2年(1855)、幕府は、秋田・津軽・南部・仙台・松前の5藩に対して、受持地域を分担させ蝦夷地警衛させることにしました。箱館奉行所は幕府の直轄組織であり、蝦夷地経営と警衛を管轄します。そこで、5藩は、箱館に箱館詰留守居役を置き、自藩と箱館奉行所および各藩留守居と連絡調整を行いました。 その後安政6年(1859)、幕府は仙台・南部・秋田・会津・庄内・津軽の6藩に、蝦夷地を分割し領分として給与しました。 万延絵図にある「ルスイ」は、これら分割支配を命じられた6藩と松前藩です。安政2年時点では蝦夷地警衛を命じられていなかった会津・庄内藩も、蝦夷地分領化の面で箱館奉行所と深く関わる万延元年当時には、他藩同様に箱館詰留守居役を置いていたと思われます。(万延絵図は『函館市史 通説編第2巻』附録に添付されています。詳細が読みとれます。) 『函館市史 資料編第1巻』には、秋田藩の箱館詰留守居役が遺した「箱館御用后例要録」が収録され、安政2〜4年の対箱館奉行関係・他藩との申し合わせ・蝦夷警衛などが記されています。

(函館の幕末維新開化叢書 黒田様より)

函館の擬洋風建築物群:函館は安政6年、横浜、長崎とともに日本で最初の貿易港として開港したことにより、西欧文化の影響を直接受けた。

このため、建物や町並みに今もその面影をとどめており、特に山の手にある元町周辺は各国の様式を備えた洋風の建物が多くみられる。

その代表的な建物は旧函館区公会堂(重要文化財)、旧北海道庁函館支庁庁舎(北海道指定有形文化財)や相馬株式会社社屋(後方の緑の社屋)などであり、また、洋風の窓など一部洋式を取り入れた和風建物としては太刀川家住宅店舗(重要文化財)や旧金森洋物店(北海道指定有形文化財)などがある。最も函館らしい建物は和洋折衷型の擬洋風建築物である。これらの擬洋風建築物は1階が和風2階が洋風、またその逆の場合や左右に分けられているほか、装飾をした縦長の窓や1階と2階の間の胴蛇腹、それにひさしの下にある装飾用コンソールが共通して見られる。

当時、函館の大工が領事館や教会など外国様式の建築を見て独特のスタイルを生んだものといわれている。

(函館市による説明板より抜粋)


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新函館ライブラリ

公式サイトなのでこちらのほうをぜひご覧ください。

はこだてと外国人居留地 

極東の窓

五島軒

函館港の遠景(長崎大学附属図書館所蔵)


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