川口居留地

大阪税関付近及び外国人居留地並びに朱印内之図(明治6頃)

水色の○をクリックすると現在の写真を見られます。安治川橋は現存しません。

大阪川口居留地・雑居地跡(外部リンク)

大阪市立住まいのミュージアム・大阪暮らしの今昔館8階に川口居留地(時刻は明治17年3月夕方5時頃)一部の模型が展示されています。(50分の1)  をクリック

また川口居留地のジオラマについてですが 現在、水都大阪コンソーシアム事務所(大阪府咲洲庁舎38階)に移されています。

(見学は、平日 9時〜17時(無料)予約制。 info@suito-osaka.jp までご連絡願います。)

川口居留地研究会:〒594-1198  大阪府和泉市まなび野1−1 桃山学院史料室内 Telephone : 0725-54-3131(代) FAX : 0725-54-3200 E-mail archives@andrew.ac.jp (学院史料室)

川口居留地研究会(オフィシャルサイト)

慶応4年(1868)、旧大阪三郷の西、木津川と安治川に挟まれた川口に設けられた外国人居留地において、大阪で最初に西洋風の住宅が建てられた。居留地は旧幕府の番所跡に造られ、堀を埋めて石垣を築き、整然とした区画割が行われた。全体は6ブロック、29の宅地からなり、ベランダやテラス、鎧戸付きのガラス窓といったコロニアルスタイルとよばれる洋風の意匠の建物が建てられた。幅18メートルの道路には歩道・街路樹・街灯が整備された。そこでは外国人が暮らし、馬車や人力車が通りを往来し、人々を驚かせた。ここで営まれた生活もまた西洋式のもので、その生活様式に求められた施設が居留地周辺に数多く生まれた。散髪屋や洗濯屋、精肉店、パンと牛乳の店、、ラムネを売る店などが早い時期から開業している。川口居留地は文明開化そのものであり、大阪における西洋文化の窓口であった。(「大阪市立住まいのミュージアム図録」p103より)


〜史料に親しむ〜

川口西洋館(長谷川小信画)浪花十二景のうち

15×35cm〔版年不明〕大阪府立中ノ島図書館所蔵

画質は悪いのですが、クリックすれば拡大できます。右下には石和・大清・池吉と書いてあります。

大阪名所・川口波止場明治38年


阪府 外国事務日誌添付の川口居留地の地図(大阪府立中ノ島図書館所蔵)

実物は2枚ともほぼ同じ大きさです。クリックすれば拡大表示。


↑天保15年(1844年)戎島九條古図(後に居留地となる地域には船倉と船奉行所と書かれています。) ↑明治2年(1869年)外国人居留地及び雑居地区域 ↑明治12年(1879年)版大阪府区分新細図ヨリ転写

上の地図3点は「本田地誌」1933年版の巻頭地図よりカラーのもの。

〜上方主催・居留地研究案内図〜

昭和14年3月19日に大阪の郷土雑誌「上方」主催で川口居留地周辺を散策するツアーと交歓会が行われました。

下の地図のA〜K、イ〜タの丸で囲んである文字をマウスのポインタで触れると文字が出ます。

くっきりした〇の部分をクリックするとリンク先にジャンプしてその場所の古写真を見ることができます。

上の地図のリンク先の写真及び説明は大阪城天守閣のテーマ展図録「おおさか水辺の風景」「古写真なにわ風景」によります。


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